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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Ich sterbe unschuldig, mein Urteil ist ungerecht. Gott beschütze Deutschland!

私は無実のうちに死ぬ。死刑は不当だ。神よドイツを守りたまえ!

フリッツ・ザウケルの最期の言葉。エルンスト・フリードリヒ・クリストフ・“フリッツ”・ザウケル(1894年10月27日 - 1946年10月16日)は、ドイツの政治家、ナチ・ドイツの労働力配置総監。1894年にドイツのハッスフルトにて郵便局員の息子として生まれる。15歳の時、家計を支えるため学校を中退し、ノルウェー・スウェーデン間航路の船員となり、世界中を旅した。その後、従軍した第一次世界大戦はフランスの捕虜となった。戦後、1921年にナチスに出会い入党。工場労働者として働く傍ら、党活動に実直に打ち込んだ功績が認められ、党幹部として出世の道を歩むようになる。テューリンゲン大管区指導者を皮切りに要職を歴任し、1933年、テューリンゲン州国家代理官に就任。1942年3月、マルティン・ボルマンの助言により、労働力配置総監に就任し、軍需大臣アルベルト・シュペーアの軍需向上における労働力確保の要求に応じ、3年に渡りザウケルとその仲間はヨーロッパ占領地区から総数500万人~700万の労働者となり得る者を強制連行した。戦後ザウケルは逮捕され、ニュルンベルク裁判で本人は強制収容所の存在の不認知や関わりを否定したが、「住民とユダヤ人の強制連行」の罪で有罪がみとめられ、絞首刑の判決を受けた。1946年10月16日、死刑判決を受けた被告人たちの中では8番目に刑が執行された。

ザウケルは労働力配置総監として、ナチスが労働展開するための一般的な全権大使でした。当然ながら強制連行された労働者たちの労働環境は過酷でした。待遇改善も行われましたが、党や政府関係者による横流しが頻発したため、根本的な解決にはなりませんでした。ザウケルはソ連領を含む東部占領地域から150万人のソ連人男女をドイツに連行するなど、徴用による労働力確保を推し進め、強制労働者数は1944年5月には750万人と、国防軍を除くドイツ総労働力数の五分の一を占めるまでになりました。西欧占領地労働者のドイツ国内への移送を優先させるザウケルと、現地で労働させるべきとするシュペーアの関係は悪化し、1944年になるとイタリア・フランスでは労働力徴用が「完全な失敗」と認めざるを得ない状況になりました。さらに占領地失陥によって国外労働力確保はさらに困難になり、この経緯によってザウケルの権力は失墜し、シュペーアの軍需省によって権限が吸収されていきました。ザウケルはニュルンベルク国際軍事裁判では、強制収容所の存在の不認知や関わりを否定しましたが、もちろん認められる訳もなく「住民とユダヤ人の強制連行」の罪で絞首刑の判決を受けました。ただ本人は判決に不服だったようで、最期の言葉でも自分の罪を認めていません。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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