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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

I shall overlive my executioner.

私は死刑執行人より長く生きるだろう。

オマル・ムフタールの最期の言葉。オマル・ムフタール(1862年 - 1931年9月16日)は、リビアにおいて独立の父とされる人物。リビアにおいては、独立の父として尊敬され、リビアの紙幣10ディナール札の人物になっている。ベンガジ近郊のジャンズールと呼ばれた小さな村で生まれ、サヌーシー教団のイマーム(指導者)として、地元のイスラーム学校で聖典クルアーンを教えていた。イタリアによるリビア植民地支配に伴いレジスタンス運動のリーダーとなり、キレナイカ地方の地の利を利用し、20年以上抵抗を続ける。1911年、イタリアのリビア支配が始まり、1930年頃には、ファシスト党を率いる独裁者ムッソリーニ政権下のイタリアによる西部トリポリタニアの支配が完了した。そのイタリア軍に抵抗し続けたのが、ベンガジ出身でサヌーシー教団のオマル・ムフタール率いるゲリラ軍だった。 オマル・ムフタールは、山がちなキレナイカ地方の地形を利用してイタリア軍を翻弄した。 しかし、抵抗運動に手を焼いたムッソリーニ政権は、リビア人の抗伊運動を鎮圧するため、後に容赦の無い苛烈な統治を行ったことにより「リビアの屠殺屋」と渾名されることになるロドルフォ・グラッツィアーニ将軍を派遣した。グラッツィアーニ将軍指揮下のイタリア軍は、ゲリラ軍の有力な支援母体であったリビア国内にいるアラブ系遊牧民であるベドウィンのゲリラ軍に対する援助を断ち切るため、リビア砂漠中に強制収容所を建設し、ベドウィン達を強制的に隔離した。さらに、支援国のエジプトやベドウィンが隔離された収容所からの支援を断ち切るため、リビア‐エジプト国境や収容所の周囲に延々と鉄条網を設置する。オマル・ムフタール率いるゲリラ軍は、エジプトからの兵器・物資の調達を妨げられて徐々に追い詰められ、ついにオマル・ムフタールは、1931年にイタリア軍に捕らえられた。 オマル・ムフタールは、捕らえられたその月のうちの9月16日に民衆の目前で絞首刑にされた。その後もイタリアのリビア支配は17年間続いた。

オマル・ムフタールはリビア独立の父です。彼が所属していたサヌーシー教団とは、イスラーム神秘主義の教団で「ネオ・スーフィズム」と呼ばれるイスラーム神秘主義の改革運動の流れを汲み、主にリビア東部のキレナイカ地方で強く信仰されています。リビアの歴史について簡単に説明しておきましょう。1911年に伊土戦争が勃発すると、サヌーシー教団はオスマン軍に協力して内陸部でゲリラ戦を行いました。1912年に和平が結ばれ、キレナイカがイタリア領リビアとなった後も、サヌーシー教団は抵抗を続け、第一次世界大戦中もトルコの支援の下イタリアと戦いました。1920年に一時停戦が成立し、イタリアはサヌーシー教団の指導者ムハンマド・イドリースをキレナイカの支配者と認めたものの、1922年にムッソリーニが政権を握ると再び戦闘が勃発し、イドリースはエジプトに逃れました。イドリースがいな間にサヌーシー教団を率いて戦ったのが、オマル・ムフタールです。オマル・ムフタールが処刑された後も、サヌーシー教団はエジプトのイドリースの元でイタリアと対立を続け、第二次世界大戦においては連合国側に参加しイタリアと戦いました。1951年にリビア地域が独立する際、トリポリタニア・キレナイカ・フェザーンの3地域をまとめられる人物として、キレナイカ首長だったムハンマド・イドリースが担ぎ出され、リビア連合王国の国王イドリース1世として即位しました。しかし、1969年にカダフィによるクーデターが起き、イドリースは亡命を余儀なくされました。、2011年リビア内戦によって政権が崩壊すると、カダフィは反カダフィ派部隊によって殺害されました。「リビアの屠殺屋」ことロドルフォ・グラッツィアーニについても、述べておきましょう。グラッツィアーニはイタリア軍史上最年少の36歳で大佐に昇進した秀才であり、占領統治を担当したリビアやエチオピアで抵抗勢力に対する徹底した弾圧を行ったことで有名な人です。最終的に国防大臣にまでなりましたが、ムッソリーニの処刑された後は戦犯として連合国に拘束され、「ナチスへの協力」という罪状で禁固19年を言い渡されました。オマル・ムフタールの最期の言葉は、イスラム教では聖戦(ジハード)で死んだ人は永遠の生命を得るとされていますので、そのことについて述べたものでしょう。オマル・ムフタールの抵抗運動の様子は、ムスタファ・アッカド監督による1981年の米国・リビア合作映画『砂漠のライオン』で映画化されています。この映画は主演アンソニー・クイン扮するオマル・ムフタール率いる抗伊運動ゲリラ軍と、オリヴァー・リード扮するイタリア軍司令官ロドルフォ・グラッツィアーニ将軍指揮下のイタリア軍との間の、息詰まる攻防戦が大胆に描かれています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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