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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

柯羅倶爾能 基能陪儞陀致底 於譜磨故幡 比例甫囉須母 耶魔等陛武岐底

韓国の城(き)の上に立ちて大葉子は 領巾(ひれ)振らすも大和へ向きて

韓国の城の上に立って大葉子は 領巾を振らすのも大和へ向かって

大葉子の辞世の句。大葉子は上代日本の女性。調伊企儺(つきのいきな)の妻。調伊企儺は、難波の人。応神天皇の代に弩理使主という者が百済から帰化し、その曾孫弥和は顕宗天皇の代に姓 調首を賜わった。伊企儺は、その子孫で、号して調吉士。欽明天皇の代に新羅がまた背き、任那を亡ぼしたので、朝廷は紀男麻呂を将として問罪の師をおこし、伊企儺はこれの副将であった。妻大葉子とともに軍に従い、敗れて、虜となった。新羅の人が刀を抜いて彼に迫り、その褌を脱がせ、臀をあらわにさせ、日本のほうへ向けさせて、「日本の将、わが臗※(左に「月」、右に「隹」)を噉(くら)へ」と叫ばせようとし、しかし伊企儺は、「新羅王、わが臗※(左に「月」、右に「隹」)を噉(くら)へ」と叫び、殺された。その子である舅子は父 伊企儺の屍を抱いて死んだ。大葉子は虜であったが、「からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて」と。歌った。聞く者はみなこれを哀れんだ。

この歌は『日本書紀』巻十九に残されています。当時の遠征には妻子が同行したようです。戦いに敗れた調吉士伊企儺は尻丸出しにさせられ、日本の方へ向けて「日本の将、我が尻を噛め」と叫べと強要されるも、「新羅の王、我が尻を啖(く)え」と叫んで殺されました。夫の壮絶な死を目の当たりにして詠まれたのがこの歌でした。この歌を詠んだ後大葉子がどうなったかの記述がありませんので、厳密に言うとこの歌が大葉子の辞世の歌なのかについては、分かりません。ただ自分の夫の死を前にして、自らの命の終わりを覚悟して詠まれた歌だと思います。歌に出てくる、領巾とは古代に女子が首にかけ,左右に垂らして用いた一条の布のことです。5尺から2尺5寸の羅や紗などを,一幅または二幅に合わせてつくりました。敵国に捕らわれていても、自分の国への愛情を忘れないと詠っているのでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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