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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

(ヨハネの福音書19章30節 十字架上のイエスの言葉より)
Consummatum est!

終わった!

ホセ・リサールの最期の言葉。ホセ・リサール(1861年6月19日 - 1896年12月30日)は、フィリピン独立運動の闘士にしてフィリピンの国民的英雄。医師、著作家、画家でもあった。志半ばにして捕らえられ、スペイン軍の手で銃殺されたが、その意志は人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として今も愛され続ける。8人の高祖父の内、1人は日系フィリピン人とされている。1949年から1973年にかけて1ペソまたは2ペソ紙幣に肖像が使用されていた。1861年、ラグナ州のカランバで父フランシスコ・メルカードと母テオドラ・アロンソの間に生まれた。彼の家系はメスティーソといわれる中国とフィリピンの混血の一族であった。メルカード家は中国・福建省の晋江から17 世紀に渡りフィリピンの先住の女性と結婚した商人の末裔であり、元来の姓は「柯」といった。また母方のアロンソ家はスペイン人と先住民の混血の家系で、ホセの曽祖父は、日本からの移民と現地女性の末裔にあたる女性と結婚している。初等教育を終えるとマニラにあるアテネオ学院(現在のアテネオ・デ・マニラ大学 w:Ateneo de Manila University)に学び、1877年に学士号を取得した。さらに同校で土地測量の技術を学びつつ、当時のフィリピンの最高学府サント・トマス大学(w:University of Santo Tomas)で哲学を学んだ。その後、母が失明の危機に陥ると、サント・トマス大学で医学を学び始めた。しかし同大学を運営するドミニコ会員たちのフィリピン人蔑視の雰囲気に耐えられず大学を去った。リサールは父の反対を押し切って宗主国であるスペインのマドリッドに留学した。マドリード・コンプルテンセ大学で医学の勉強を続け、医師免許を取得すると、さらにハイデルベルク大学とパリ大学で医学の研鑽を積んだ。ちなみにリサールは語学の天才であり、アラビア語、スペイン語、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、マレー語、ポルトガル語、ロシア語、タガログ語やフィリピンの諸言語を自在に操り、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、日本語、サンスクリット語を理解したといわれている。ホセ・リサールは『ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)』[ラテン語で『我に触れるな』]と『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』[スペイン語で『反逆者』]という2つの著作で有名である。両方ともスペイン語で書かれているが、スペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの様子が克明に描き出されており、フィリピン人の間に独立への機運を高めた。リサールは政治的独立のみを目指す革命志向家というよりはフィリピン人たちの生活改善を願う改革者であった。バルセロナでスペイン在住のフィリピン人留学生たちを組織してプロパガンダ運動を始め、雑誌『ラ・ソリダリダード(La Solidaridad)』[スペイン語で『連帯』]を創刊した。そこで彼の打ち出した運動の方向性は以下のようなものであった。
フィリピンはスペインの一地域であること。
スペイン政府議会へのフィリピン代表派遣の権利が認められるべきこと。
スペイン人の聖アウグスチノ修道会員、ドミニコ会員、フランシスコ会員でなくフィリピン人聖職者の養成を行うこと。
言論の自由が認められるべきこと。
フィリピン人に法律的平等が与えられること。
もしこれらの改革案が受け入れられていれば、リサールの著作にも何の問題もなかっただろう。しかし、スペイン人統治者たちはこのような暴力に訴えない提案すらも植民地支配を脅かすものであると危険視した。1892年、マニラに戻ったリサールを待っていたのは辺地への追放であった。容疑は「ラ・リガ・フィリピナ(La Liga Filipina, フィリピン連盟)」という組織による破壊工作。ミンダナオ島のダピタン(Dapitan、現在のサンボアンガ・デル・ノルテ州にある)へ追放されたリサールは同地で病院と学校を作って住民の啓蒙に努めた。1896年、秘密結社カティプナンが独立闘争(1896年革命)を開始すると、以前からリサールに目をつけていたスペイン官憲に逮捕され、マニラに送致され裁判にかけられ、暴動の扇動容疑で銃殺刑が宣告された。リサールの人物を惜しんだスペイン人官吏が国を出て、キューバで医療奉仕するなら処刑は取り消せると提案したが、リサールは断り、故国のために死ぬ事を選んだ。処刑の前の晩に妹に手渡した遺言代わりの辞世の詩は、後に「ミ・ウルティモ・アディオス(Mi Ultimo Adios,『我が最後の別れ』)」と名づけられ、彼の祖国への熱い思いを伝えるものとなっている。同年12月30日、マニラで銃殺された。リサールが処刑されたマニラ湾を見渡す地は現在、リサール公園として整備されており、衛兵に24時間守られている記念碑があり、緑も多くマニラ市民の憩いの場所になっている。また、リサールは1888年に来日しており、1ヶ月ほど東京都(当時・東京府)内に滞在している。これを記念して東京の日比谷公園にはホセ・リサール記念像が設置されている。

ホセ・リサールはアンドレス・ボニファシオと並ぶ、フィリピン独立運動の闘士にして大英雄です。独立運動家や革命家という人たちはけっこう悪どい人も多いのですが、リサールは最後の最後まで立派であり、真の愛国者でありました。しかも博学多才にして医師免許を持ち、22もの言語に精通していたというのですから驚きです。彼は暴力革命を通じてではなく、制度改革を通じてフィリピンの自治を平穏に達成しようとした穏健派でしたが、スペインは彼を危険人物として最後は処刑してしまいました。リサールはラ・リガ・フィリピナ(La Liga Filipina;フィリピン同盟)という組織を作り、平和的にフィリピンの自治を求めましたが、当局は同組織を脅威と受け止め、1892年7月6日の夜、同組織創立のたった四日後にリサールは逮捕されました。ラ・リガ・フィリピナの一員でもあったアンドレス・ボニファシオによって創設された秘密組織がカティプナンです。カティプナンは武力闘争路線のもとで1896年にフィリピン独立革命を開始しました。リサール自身は武力闘争を志向したことはありませんでしたが、カティプナンのメンバーたちから独立運動の思想的指導者として敬愛されていたため、スペインの意図に反して、リサールの死は独立運動を活発化させることになりました。カティプネロスと呼ばれたメンバーたちは「ホセ・リサール万歳!」と叫んで戦いに身を投じました。上記の通りリサールは日本に滞在したこともあるのですが、この時自由民権運動家である末広鉄腸と親交を結んでいます。末広鉄腸はリサールとの同行記を『唖之旅行』にまとめ、1891年にはリサールをモデルとするフィリピン人「多加山峻(たかやまたかし)」を主人公にフィリピン独立革命を描いたアジア主義的な政治小説『南洋之大波瀾』を発表しています。リサールは処刑される時に、ヨハネの福音書のイエス十字架上で語ったとされる言葉を述べて亡くなりました。恐らくかれは自分の役割と運命が、殉教者のようなものであると考えていたのでしょう。最後にリサールの辞世の詩はである「ミ・ウルティモ・アディオス(Mi Ultimo Adios,『我が最後の別れ』)を紹介します。残念ながらスペイン語は分からないので、英語からの重訳です。

"Mi Último Adiós"

¡Adiós, Patria adorada, región del sol querida,
Perla del mar de oriente, nuestro perdido Edén!
A darte voy alegre la triste mustia vida,
Y fuera más brillante, más fresca, más florida,
También por ti la diera, la diera por tu bien.

En campos de batalla, luchando con delirio,
Otros te dan sus vidas sin dudas, sin pesar;
El sitio nada importa, ciprés, laurel o lirio,
Cadalso o campo abierto, combate o cruel martirio,
Lo mismo es si lo piden la patria y el hogar.

Yo muero cuando veo que el cielo se colora
Y al fin anuncia el día tras lóbrego capuz;
si grana necesitas para teñir tu aurora,
Vierte la sangre mía, derrámala en buen hora
Y dórela un reflejo de su naciente luz.

Mis sueños cuando apenas muchacho adolescente,
Mis sueños cuando joven ya lleno de vigor,
Fueron el verte un día, joya del mar de oriente,
Secos los negros ojos, alta la tersa frente,
Sin ceño, sin arrugas, sin manchas de rubor

Ensueño de mi vida, mi ardiente vivo anhelo,
¡Salud te grita el alma que pronto va a partir!
¡Salud! Ah, que es hermoso caer por darte vuelo,
Morir por darte vida, morir bajo tu cielo,
Y en tu encantada tierra la eternidad dormir.

Si sobre mi sepulcro vieres brotar un día
Entre la espesa yerba sencilla, humilde flor,
Acércala a tus labios y besa al alma mía,
Y sienta yo en mi frente bajo la tumba fría,
De tu ternura el soplo, de tu hálito el calor.

Deja a la luna verme con luz tranquila y suave,
Deja que el alba envíe su resplandor fugaz,
Deja gemir al viento con su murmullo grave,
Y si desciende y posa sobre mi cruz un ave,
Deja que el ave entone su cántico de paz.

Deja que el sol, ardiendo, las lluvias evapore
Y al cielo tornen puras, con mi clamor en pos;
Deja que un ser amigo mi fin temprano llore
Y en las serenas tardes cuando por mí alguien ore,
¡Ora también, oh Patria, por mi descanso a Dios!

Ora por todos cuantos murieron sin ventura,
Por cuantos padecieron tormentos sin igual,
Por nuestras pobres madres que gimen su amargura;
Por huérfanos y viudas, por presos en tortura
Y ora por ti que veas tu redención final.

Y cuando en noche oscura se envuelva el cementerio
Y solos sólo muertos queden velando allí,
No turbes su reposo, no turbes el misterio,
Tal vez acordes oigas de cítara o salterio,
Soy yo, querida Patria, yo que te canto a ti.

Y cuando ya mi tumba de todos olvidada
No tenga cruz ni piedra que marquen su lugar,
Deja que la are el hombre, la esparza con la azada,
Y mis cenizas, antes que vuelvan a la nada,
El polvo de tu alfombra que vayan a formar.

Entonces nada importa me pongas en olvido.
Tu atmósfera, tu espacio, tus valles cruzaré.
Vibrante y limpia nota seré para tu oído,
Aroma, luz, colores, rumor, canto, gemido,
Constante repitiendo la esencia de mi fe.

Mi patria idolatrada, dolor de mis dolores,
Querida Filipinas, oye el postrer adiós.
Ahí te dejo todo, mis padres, mis amores.
Voy donde no hay esclavos, verdugos ni opresores,
Donde la fe no mata, donde el que reina es Dios.

Adiós, padres y hermanos, trozos del alma mía,
Amigos de la infancia en el perdido hogar,
Dad gracias que descanso del fatigoso día;
Adiós, dulce extranjera, mi amiga, mi alegría,
Adiós, queridos seres, morir es descansar.

最後の別れ

さらば我が愛する祖国よ。太陽に抱かれた場所よ
東の海の真珠よ。失われた我らのエデンの園よ
喜びをもって汝に我が生命と悲しみと抑圧を捧げる
それはさらに輝き新鮮で、最高であったとしても
私は今でも汝の幸福のためにそれを捧げよう

激情に駆られる戦いの場において
他の者たちは汝に苦痛と躊躇いのない生命を捧げる
場所は問題ではない、糸杉、月桂樹、虹彩
断頭台、空き地、紛争や悲惨な殉教
祖国と同胞が求めるなら全ては同じなのだ

空が朱に染まるのを見る時私は死ぬ
夜の暗い闇の後で私はこう言おう
もし朝の光を染めるために色が必要ならば
我が血潮を注ぎ正しい瞬間に散らして
君の旭で金色に輝かしてくれ!

やっと青年になった時の私の夢
すでに活力溢れる若者となった時の私の夢
いつの日か、東の海の宝石よ
黒い瞳は渇き、滑らかな額は高く平らに
顔をしかめることもしわも恥の汚れもない

我が生涯の夢、我が熱烈な燃え立つ希望
万歳! 汝への魂の叫びはもうすぐ出発する
万歳! 汝の願いを満たして倒れることは何と甘美であることか
終の空の元にて汝に命を捧げる
そして神秘の大地で永遠の眠りにつこう!

いつの日か、私の墓に風にそよぐ
草むらの中にただひっそりと咲く花を見つけたら
汝の唇を寄せて、我が魂に口づけしてくれ
そうすれば私は冷たい墓の下で額に感じるのだ
汝の優しさの香りのする暖かな吐息を

柔らかで温和な光をたたえた月に私を見つけてもらおう
輝く光にはかない光を映してもらおう
風は息をつぐために低い声で呟いて
一羽の鳥が舞い降りて、私の十字架にとまったら
鳥には平和の歌を歌ってもらおう

燃え上がる太陽には雨粒を消し去ってもらい
そして再び澄み渡った空に我が喧噪で
友達に私の早すぎる死に涙を流してもらおう
そして静かな午後に私のために祈る者があれば
そして、おお我が祖国も祈ってくれるのならば、私は神の中で安らかに眠ろう

希望もなく死んでいった者たちのために祈ってくれ
比類なき苦痛を受けた全ての者たちのために
苦しみの叫び声をあげた全ての哀れな母親たちのために
苦痛を受けた孤児や囚人や未亡人のために
そして汝自身の救済のために

そして夜のとばりが墓場を包む時
ただ残された死者だけが見守る時に
その静寂と神秘を乱さないでもらいたい
その竪琴の音が聞こえたら
それは私だ、愛する祖国よ、私が歌っているのだ

そして私の墓が全く思い出される事のなくなった時
その場所を示す十字架や墓石がなくなったら
男に耕させて、すきでそれを散らしてくれ
私の灰は無へと帰り
汝の大地を敷きつめる塵となろう

そうなったら私の事など忘れてくれて構わない
汝の大気、汝の空、汝の谷間を私は吹き抜けよう
汝の耳に響く澄んだ音色と私はなろう
香り、光、色、さやめき、ささやき、歌、低く唸る
私が信じ続けた事の本質を絶えず繰り返しながら

我が親愛なる祖国よ、我が最大の望みよ
愛するフィリピンよ、私の最期の別れを聞いて欲しい
私は両親も愛する人たちも残して
私は奴隷も暴君も囚人もいない所へと行く
信仰が人を殺すことのない、神のみが統治する所へ

さらば両親、兄弟、わが愛する人たちよ
苦しんでいる幼い頃からの友人たちよ
私を疲弊させた日々を離れ今休めることに感謝します
さらば優しい見知らぬ国の人たち、我が道を照らす友人たちよ
さらば我が愛する全ての人たちよ、死は安らぎなのだ
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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