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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Bin ich noch in meinem Haus?

私はまだ家にいますか?

ゲアハルト・ハウプトマンの最期の言葉。ゲアハルト・ハウプトマン(1862年11月15日 - 1946年6月6日)は、ドイツの劇作家、小説家、詩人。1912年にノーベル文学賞を受賞した。ドイツにおける自然主義演劇の中心的人物。作風は、自然主義的手法で社会的問題を描くものから始まり、やがてロマン主義・象徴主義などの手法を用いるようになっていく。後には再び自然主義的作風に戻るが、その頃には社会的問題よりも個人の内面に着目した作品が目立つようになる。最初の戯曲は、イプセンの影響を受けた『日の出前』(Vor Sonnenaufgang 、1889年)。労働者の抱える問題を自然主義的手法で描いている。『織匠』(Die Weber、1892年)では下層階級の生活を描写した。この戯曲はハウプトマンの代表作の一つとされている。他の作品には、風刺喜劇『ビーバーの毛皮』(Den Biberpelz、1893年)、ロマン主義的な作品『ハンネレの昇天』(1893年)、象徴主義的な作品『沈鐘』(1896年)などがある。他にも歴史劇や童話劇などを書いており、自然主義に収まらず様々な様式を試みた劇作家といえる。

ハウプトマンは現在はポーランド領であるシレジア(Silesia)に生まれました。この町はドイツ語ではシュレージエン(Schlesien)と言います。最初は彫刻家になる意図で美術学校に入りましたが、後にイェーナの大学で勉強しました。ハウプトマンは第二次世界大戦時にもドイツに残り、ドレスデンの爆撃を生き延びました。ハウプトマンは平和主義者でしたが、ヒトラー政権を批判せずにドイツに留まったことが、後の彼の評価に悪い影響を及ぼしたようです。ハウプトマンの最期は、1946年6月6日に83歳で気管支炎により亡くなりました。ハウプトマンはポーランドで亡くなったのですが、彼は上記の理由で祖国から裏切り者扱いをされていたので、最期の言葉はここが本当に自分の家なのかという想いを述べたものでした。ポーランド共産党政権はハウプトマンがポーランドで埋葬されることを許可しなかったために、彼の遺骸は棺に入れられてドイツに送られ、バルト海上のドイツの領土ヒデンゼー島に埋葬されました。彼は特に悪いことをしたわけではないのに、その最期の言葉の通り祖国を失っていたようです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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