09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

今日の辞世の句 

Doro, ich bekomme keine Luft mehr.

ドロ、もう息ができない。

エンリコ・カルーソーの最期の言葉。エンリコ・カルーソー(1873年2月25日 - 1921年8月2日)はオペラ史上最も有名なテノール歌手の一人。カルーソーはイタリアのナポリで生まれ、同地で1894年から演奏家としての活動を始めた。翌年ミラノで大きな成功を収め、最初の20回のレコード録音を行った。1903年、ニューヨーク市を訪れ、メトロポリタン歌劇場(メト)で歌った。その年から、米ビクター社にレコード録音を開始する。カルーソーのメトおよび米ビクターとの関係は1920年まで継続した。カルーソーは約60作品ものオペラをレパートリーにしていた。主にイタリアオペラであったが、フランスとイギリスのオペラも、ひどいイタリア訛りではあったが歌った。また、約500曲の歌曲もレパートリーとしており、それらはイタリアの古典歌曲や民謡から当時のポピュラーソングまで及んでいた。レコード録音を盛んに行ったスター歌手は彼が最初だったことにより、20世紀最初の20年間という時代もあって、カルーソーは円盤型蓄音機の普及を助け、それが彼の知名度も高めた。カルーソーが行った大衆的なレコード録音と彼の並外れた声、特にその声域の広さ、声量と声の美しさによって彼は当時の最も著名なスター歌手となったのである。1909年に咽頭の手術を受けた後は高域の発声に以前の輝きを失った、とする評もあるが、それを力強さを増した中低域によってうまく補った。1920年、メトでの舞台中に喀血、故郷ナポリで療養中の翌1921年に48歳の働き盛りで亡くなった。カルーソーの生涯は1951年のハリウッド映画『歌劇王カルーソー』(マリオ・ランツァ主演)で大々的に脚色されて映画化された。2000年、BMGからCD作品「カルーソー2000』("CARUSO 2000")が発売された。これには、最新のコンピュータ技術により、雑音に満ちたSPレコード音源からカルーソーの声のみを抽出、そこへ新たに録音した1999年のウィーン放送交響楽団のオケをミックスする、という革新的な手法がとられている。

エンリコ・カルーソーは20世紀の最も偉大なオペラ歌手の一人であり、初期のレコードの普及に大きな影響を与えた人物です。彼は1895年から1920年までのキャリアで、ニューヨークのメトロポリタン·オペラなどで、863回の公演を行いました。また1910年のメトロポリタンオペラハウスのステージは、アメリカで初の公共ラジオ放送での放送となりました。。カルーソーは48歳の時にローマに向かう途中のナポリのベスビオホテルで、腎臓の感染症で亡くなりました。最期の言葉のドロとは妻のドロシーのことで、夫婦の仲が良かったのでしょう、彼女は夫のことをリコと呼んでいました。葬儀はサン·フランチェスコ·ディ·パオラ教会のロイヤル聖堂で行われ、何千人もの人が出席したそうです。カルーソーはアメリカで録音された260以上の音源を含め、498の音源が現存しますが、そのいくつかは未発表のものでした。カルーソーの歌う誰でも知っている曲「O Sole Mio」と、「三大テノール」として知られるルチアーノ・パヴァロッティの歌う「caruso」を紹介しておきましょう。

カルーソー「O Sole Mio」
http://www.youtube.com/watch?v=u1QJwHWvgP8
ルチアーノ・パヴァロッティ「caruso」
http://www.youtube.com/watch?v=I8A61eY1Efg
スポンサーサイト

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://ufononatu.blog10.fc2.com/tb.php/536-2b24eb76
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。