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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

May God have mercy on the assassins.

神様が暗殺者に慈悲を給えますように。

オスカル・ロメロの最期の言葉。オスカル・アルヌルフォ・ロメロ・イ・ガルダメス(1917年8月15日 - 1980年3月24日) はエルサルバドルのカトリック司祭、サンサルバドル教区大司教。ロメロ大司教は多数の人権侵害を証言し、貧困層の人々の側に立ち、エルサルバドル内戦の犠牲者を代表して世界に訴える務めを担うことを選んだ。しかし、彼の取組みは政治的行動主義であるとしてカトリック教会の上層部とエルサルバドル政府から非難を受けることになった。1980年ロメロ大司教はミサの司式の最中に狙撃を受けて暗殺された。彼の死はエルサルバドルにおける人権改革を求める国際的な抗議の声を呼び起こすことになった。1997年にはロメロ大司教の列福・列聖調査が開始され、ヨハネ・パウロ2世は彼を神の僕(福者・聖人にいたる最初の段階)とし、現在も調査が続けられている。公式なものではないがロメロはアメリカ州とエルサルバドルの守護聖人と人々からみなされるようになり、エルサルバドルなどではすでに「聖ロメロ」とさえ呼ばれている。彼は聖公会などのカトリック以外のキリスト教の共通信仰の教派からも敬愛されている。彼はロンドンのウェストミンスター寺院の大西扉の「20世紀の殉教者10人」の1人に選ばれ、その胸像が飾られている。1977年2月23日ロメロはサンサルバドルの大司教に選ばれた。彼が保守的であるとの評判により、この人事は軍事政権からは歓迎され、解放の神学による貧困層との関わりに歯止めをかけられることを危惧した急進派の聖職者からは失望で迎えられた。
進歩的なイエズス会士で、ロメロの個人的な友人でもあり、貧しいカンペシノ(農民)の自助グループの結成を支えてきた、ルティリオ・グランデが3月12日に暗殺された。ロメロはアルトゥーロ・アルマンド・モリナ政権に調査を求めたが、無視された。検閲下の報道も沈黙を守った。新しい緊張はいくつかの学校の閉鎖や公式の行事へのカトリックの聖職者の不参加というかたちで現れた。この殺人への対応としてロメロはそれまで示したことがなかった「急進的な立場」を表明した。彼はこの国で起きている貧困、社会的不正、拷問、暗殺などについて明確に語り始めた。彼は国際的な注目を集めるようになり、1979年のノーベル平和賞候補にも挙げられた。1980年2月にルーヴァン・カトリック大学からロメロへ名誉博士号が贈られた。この栄誉を受けるためにヨーロッパを訪れた際に、ヨハネ・パウロ2世とも面会し、エルサルバドルで起きていることについての彼の認識を表明した。彼の姿勢は教皇との対立に繋がった。ロメロは、テロと暗殺を合法化しているエルサルバドル政府を支持することには問題が多いと訴えた。1979年に軍事革命評議会が準軍事的な右翼団体と、左翼ゲリラと、政府による人権侵害の波の中で権力を握った。ロメロは1980年2月米国の軍事援助が「疑問の余地なく、最も基本的な人権のために闘っている人々による組織に抑圧を加え、社会的不正を増大させる」とジミー・カーターに手紙を送り、新政権に軍事援助を行わないように要請した。カーターは「もう1つのニカラグア」になると考えこれを無視した。ロメロは人権侵害を指示する命令に兵士たちが従わないようにと説教をしたその日に大聖堂脇の小聖堂でミサを祝っている間に撃たれた。ミサを録音したものによれば、彼は説教を終え、感謝の祭儀の前の祈りの言葉を唱え終えた瞬間に撃たれた。彼の暗殺は米国により米州学校で訓練を受けた2人の将校を含む死の部隊によるものだと信じられている。この見方は1993年の国連の公式報告書でも支持され、暗殺を指示したのは後に国民共和同盟 (ARENA) を創設するロベルト・ダウビュイソン少佐であったと特定した。国民共和同盟は1989年以降政権を握っている。彼の葬儀には世界中から100万人以上の参列者が集った。その際にも治安部隊により40人の市民が殺された。彼が埋葬された後も人々は殉教司教の敬意を示し続けた。

最近は宗教間での対立が何かと取り上げられ、宗教そのものに不審の目が向けられているようですが、オスカル・ロメロは20世紀の宗教家の中で完全に尊敬できる一人です。1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくして、エルサルバドルでも政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足しましたが、極右勢力のテロは続き、1980年にはオスカル・ロメロ神父をはじめとする聖職者までもが次々と殺害されました。「解放の神学」とは、中南米のカトリック司祭により実践として興った神学の運動で、ニカラグアのサンディニスタ革命では大きな役割を果たしましたが、マルクス主義から階級闘争などといった概念を借用することがあり、バチカンからは拒絶されました。当時のヨハネ・パウロ2世教皇や前教皇ベネディクト16世も教反対者として知られています。このような背景もあり、ロメロ大司教は教皇と対立しました。ロメロ大司教の暗殺により、キリスト教の教会一致促進運動であるエキュメニズムにおいて、「解放の神学」の伝統を受け継ごうという動きが世界的に広まりました。彼を暗殺した死の部隊とは主に第三世界の各国、特にラテン・アメリカで行われていた反テロなどを名目とした市民に対する暗殺作戦を実行する白色テログループの総称で、現在も活動しています。ロメロ大司教の暗殺後、エルサルバドル内戦が起こり、左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、府軍との内戦は泥沼化しました。人口500万に満たないエルサルバドルで、1979年10月から1987年10月の8年間において、死の部隊を含む治安部隊に殺害された国民の数は約62,000人に、行方不明者は約5,000人に、難民に至っては100万人以上に及びました。政府軍・ゲリラ双方による・弾圧・虐殺・暴行が横行しましたが、それを恣意的に無視して政府軍を支援し続けた、アメリカ政府は非難されてしかるべきでしょう。キリスト教では、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、早くても死後数十年、場合によっては死後数百年にも及ぶ厳しい審査を経るのですが、ロメロ大司教はいずれ必ず列聖されることでしょう。


ウェストミンスター寺院の「20世紀の殉教者」10人の像を見てみたいという方はこちらからどうぞ。左からマキシミリアノ・コルベ、マンシュ・マセモラ、ヤナニ・ルアム、エリザヴェータ・フョードロヴナ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、オスカル・ロメロ、ディートリッヒ・ボンヘッファー、エスター・ジョン、ルシアン・タピエディ、王志明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Westminster_Abbey_-_20th_Century_Martyrs.jpg
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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