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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

We are running on line north and south.

南北線上を飛んでいます。

アメリア・イアハートの最期の言葉。アメリア・メアリー・イアハート(1897年7月24日 - 1937年7月2日)は、アメリカの飛行士。1927年のチャールズ・リンドバーグの快挙に続き、女性として初めての大西洋単独横断飛行などをした。リンドバーグに続き、女性初の大西洋横断飛行を成し遂げたことから、ミス・リンディの愛称がある。知的かつチャーミングな女性であったため、当時(そして今も)は絶大な人気があり、彼女の名前を冠された商品も多岐にわたっていた。これらは出版人であった夫のジョージ・パットナムの協力と手腕であったとされる。最期となってしまったフライトも、7月4日の国民的祝日のアメリカ独立記念日に米国本土到着を計画したもの、との見方がある。その最期となってしまった1937年7月の赤道上世界一周飛行の途中で、南太平洋において行方不明となった。また、イアハートは自身の体験を通じ、女性の地位向上に熱心な活動を行ない、ゾンタクラブの主要メンバーとして活躍していた。今もイアハートの名前を冠した奨学金制度(大学院課程で航空関連の科学や技術を学ぶ女性対象)が運営されており、日本人女性も例外ではなく、事実、この制度に助けられている女性は少なくない(ゾンタクラブは2012年現在も日本を含めた世界で活動が続いている)。近年の日本においては知る人が少ない存在ではあるが、アメリカでは今も代表的国民ヒロインの一人であり、さらに謎めいた最期のために、未だにSF・フィクションの世界では彼女の登場するものが少なくない。昨今、これらの現象から、ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる、としてマーケティング分析分野では「アメリア・イアハート効果」という語も生まれている。1937年5月21日に赤道上世界一周飛行に向かって、ナビゲータのフレッド・ヌーナン(英語版)とロッキード・エレクトラ10Eでカリフォルニア州のオークランドを飛び立ち、太平洋を東周りに飛行し、6月30日にニューギニアのラエまで到着した。エレクトラは旅客機であり、通常は操縦士2名の他に旅客12名を載せて航行可能な機体であるが、イアハート機は長距離飛行のために客室内に増設タンクを設置した改造機である。7月2日に、日本の委任統治領(南洋諸島)に隣接したアメリカ領の無人島であるハウランド島を目指して離陸したが、目的地に着陸することは無かった。

イアハートはアメリカの女性飛行士であり、国民的大ヒロインでした。アメリカ政府は、大日本帝国海軍の協力の元に、行方不明になったイアハートの捜索に400万ドル(当時)を費やしましたが、彼女は見つかりませんでした。遭難当時はアメリカが日本との間で対立を深めていたこともあり、イアハートはアメリカのスパイで、彼女は日本軍によって撃墜され捕らえられたという噂が流れました。実は日本海軍の艦艇はアメリカアメリカとの関係改善のためか、多額の費用を投じた捜索活動も行っていたのですが、噂に尾ひれがついて彼女は終戦直前に処刑されたとか、「東京ローズの正体はイアハートであった」という何の根拠もない話まで囁かれました。イアハートの最期は懸命の捜索にもかかわらず、彼女は行方不明のままだったので、実はよく分かっていません。ただその時の状況はかなり切羽詰っていたようで、悪天候のため目的地を発見できず、燃料が尽きかけていました。上記の最期の言葉を無線で述べた後、彼女は消息を絶ちました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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