09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

今日の辞世の句 

Hey, Jimmie! The Chimney Sweeps. Talk to the Sword. Shut up, you got a big mouth! Please come help me up, Henny. Max come over here... French Canadian bean soup... I want to pay, let them leave me alone...

おい、ジミー!煙突掃除夫。剣について話せ。黙れ、でかい口を叩くな!お願いだから助け起こしてくれ、急いで、マックスがここに来るんだ……フランス系カナダ人の豆スープ……俺は支払いをしたい、ほっといてくれ……。

ダッチ・シュルツの最期の言葉。ダッチ・シュルツは(1902年8月6日 - 1935年10月24日)は、1920年代から1930年代にニューヨークで活躍したギャング。 本名はアーサー・フレゲンハイマー。気が短く暴力的な性格で、問題がおきると銃で解決するタイプで、多くの流血沙汰を起こした。ニューヨークのブロンクスでユダヤ系ドイツ人(ユダヤ系)移民の両親(父は酒屋の主人だった)の間に生まれる。 14歳で父が失踪し、学校を中退して働き始めたが間もなくギャングとなって17歳で強盗を働いた。その後、コーサ・ノストラとも連携して密造酒、モグリ酒場、売春業、ナンバーズ賭博などあらゆる違法事業を手がけ、ブロンクスとハーレムを支配下に置いて財産を築いた。 その他にもウェイターやコックの組合を仕切り、多額の金を吸い上げていた。シュルツは、禁酒法時代にニューヨークにおけるビールの最大供給者であったため「ビール男爵」と呼ばれていた。ブロンクスを縄張りとした「密造酒王」でもあった。 ナンバーズ賭博ではアフリカ系アメリカ人の犯罪組織とも組んでおり、イタリア系や政治家との関係を持っていない彼らの一部はシュルツの支援で利益を上げていた。1931年から32年にかけてジャック・ダイアモンド、かつての盟友ヴィンセント・コールと抗争を繰り広げ、最終的に両者とも殺害した。 同年には検事トーマス・デューイに脱税容疑で告発され、22ヶ月にわたって潜伏生活を送る。告発そのものは第一審では有罪となったが、第二審において市民への慈善事業に名を借りた買収工作により陪審で無罪を勝ち取ることができた。その間に副官ボー・ワインバーグはラッキー・ルチアーノの了承の元にシュルツの権益を手に入れ、これをシュルツは裏切り行為だとして激怒した。潜伏生活から復帰したシュルツは1934年ニューヨークに戻るが、彼の収益システムは既に壊滅させられていた。その上、無罪判決に激怒したフィオレロ・ラガーディア市長がニューヨークに戻り次第シュルツを逮捕するよう命じたため、ニューアークへ拠点を移さざるを得なくなった。そして1935年9月9日には(おそらく)ワインバーグを殺害し、権益を奪い返した。一方、シュルツはニューヨークを追われた事を恨み、デューイ暗殺を計画してコミッションに諮った。アルバート・アナスタシアやジェイコブ・シャピロは賛成したが、デューイ暗殺による司法当局の取締強化を恐れた多くのメンバーが反対し、ジョゼフ・ボナンノは「これは正気じゃない」と語ったという。この結果にシュルツは怒り狂い、自分一人で実行すると宣言。それに対し、かつて彼と同盟を結んでいたラッキー・ルチアーノらは、アナスタシア、ルイス・"レプケ"・バカルター率いるマーダー・インクにシュルツ殺害を命じた。1935年10月23日、ニューアークの呑み屋"パレス・チョップハウス"でシュッツは部下のオットー・"アッバダッバ"・バーマン、副官エイブ・ランダウ、ボディーガードルル・ローゼンクランツと共にマーダー・インクの刺客チャールズ・”バッグ”・ワークマン、エマニュエル・"メンディー"・ワイスの2人に銃撃され、翌日腹膜炎により息を引き取った。 最後に言った言葉は「俺のことはほっといてくれ」。 彼はユダヤ教徒だったが、銃撃直後にカトリックに改宗したため、ニューヨークのCemetery of the Gate of Heavenに埋葬された。なお、実行犯二人は5年後に逮捕され、ワークマンは終身刑(1964年釈放)、ワイスはマーダー・インクによる別件の一連の殺人により1944年に処刑された。ワークマンは23年間刑務所に入ったが、その間マフィアはワークマンの面倒を見たという(出所後のワークマンのその後は不明)。

ダッチ・シュルツはアメリカアウト・ロー列伝にその名を残す、最悪のギャングの一人です。彼はチンピラから密造ビール王になり、血まみれの抗争により警察だけでなく他のギャングたちも敵に回しました。彼が死の直前に残した上記の脈絡の無い言葉は、警察の速記者によって記録されました。ビート・ジェネレーションを代表する作家の一人であるウィリアム・S・バロウズは『ダッチ・シュルツ 最期のことば』で、シュルツが断末魔に見た夢を、シナリオ形式で小説にしています。 伝説的なほど短気で暴力的だった彼の生涯は、多くの小説や映画で取り上げられており、ダスティン・ホフマンがシュルツを演じた『ビリー・バスゲイト』(1991年)、リチャード・ギアがシュルツの子分を演じた『コットンクラブ』(1984年)、などがあります。ハーレムの女王、ステファニー・セント・クレアは死の床にあるシュルツに"As ye sow, so shall ye reap."(自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない)という短い電報を送っており、やはりあまり好かれている人ではなかったようです。
スポンサーサイト

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://ufononatu.blog10.fc2.com/tb.php/619-7657ee2d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。