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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

神かけて誓ひしことのかなはずば ふたたび家路思はざりけり

神にかけて誓ったことが叶わないならば もう一度家路に就こうとは思わなかたな

堀光器の辞世の句。堀光器(天保九年(1838)-慶応四年(1868))は会津藩士。通称粂之助。父清左衛門は普請奉行配下の下級武士で、粂之助は文武に優れ、会津藩校南学館の助教授であった。慶応四年(1868)戊辰戦争の際、会津藩の危急を伝え、米沢藩からの援軍を要請する使者として米沢を訪れた。しかし米沢藩はすでに恭順を決定しており、その要請は拒否されてしまう。使者としての役目を果たせない以上、若松に戻ることは出来ないとして切腹した。 慶応4年9月4日享年31歳にて自刃。

堀光器は一般的な知名度は低い人ですが、彼は会津戦争(戊辰戦争)において、母成峠の守備をしていました。新撰組のファンの人ならば、母成峠の戦いで土方歳三や斉藤一ら新選組隊員を含む東軍軍勢800名と、西軍2200名が戦ったことを知っているでしょう。東軍は三倍近い兵力及び兵器の差で勝てず敗走し、新政府軍は若松城下に殺到しました。その結果、白虎隊(士中二番隊)や娘子軍、国家老西郷頼母一家に代表されるような悲劇を引き起こすことになりました。会津軍は籠城を余儀なくされ、他の戦線でも形勢不利となっていいき、1か月後に降伏しました。会津藩の劣勢が確実な状況になったことで、仙台藩・米沢藩・庄内藩ら奥羽越列藩同盟の主力の諸藩が自領内での戦いを前に相次いで降伏を表明し、奥羽での戦争自体が早期終息に向いました。母成峠の戦いが会津戦争ひいては戊辰戦争全体の趨勢を決したと言えます。堀は最後の望みをかけて米沢城下に至りますが、その願いは儚いものでした。堀光器の墓は山形県米沢市の竜泉寺にあり、彼の魂はいまだに若松には帰れていないようです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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