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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

なかなかにおしき命にありなから 君のためにはなにいとふべき

なかなかに惜しかった命ではありながらも 主君のためには何を嫌がるべきであろうか

森常吉の辞世の句。森 常吉(もり つねきち、文政9年6月12日(1826年7月16日) - 明治2年11月13日(1869年12月15日))は、幕末の桑名藩士。後、新選組隊士。頭取改役。弥一左衛門とも。諱は陳明(つらあき)。戊辰戦争時、上野戦争に参戦した後、同藩士関川代次郎らと共に徹底抗戦派の藩主・松平定敬を護衛して蝦夷地へ渡航。新選組に入隊し、箱館戦争に参戦した。箱館戦争の敗北が決まると、桑名藩は新政府軍の追及を受けた。森は桑名藩の全責任を引き受けるため、明治2年に釈放された後、自害。享年44。墓所は三重県桑名市の十念寺にある。

その手は桑名の焼き蛤と言えば、『東海道中膝栗毛』の有名な一節であるが、一般的に桑名という地名を聞いても、名物の焼き蛤くらいしか思い浮かばないかもしれません。幕末の歴史でも桑名藩の動向は、あまり注目されていないようですが、鳥羽・伏見の戦いでは会津と共に桑名の藩兵が主力となって薩摩・長州と戦いました。桑名では軍制改革が行なわれており、近代洋式の軍隊となっていましたが、肝心の首脳部が旧態依然とした老職で占められていたために、新居良次郎らの奮戦も空しく、実力を発揮できずに敗れてしまいました。そのような桑名藩にあって、森常吉は箱館戦争の最後まで戦った人でした。箱館新選組の頭取改役となり、最期は桑名藩の全責任を背負って、自害しました。森常吉は上記の辞世の歌の他にも、「うれしさよ つくす心の あらわれて 君にかわれる 死出の旅立」という歌を残しています。ここでの君とは、天皇のことでも慶喜のことでもなく、桑名藩主藩主・松平定敬のことでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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