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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

みちのくの木の間がくれの山櫻 ちりてぞ人や夫と知るらん

東北の木の間に隠れた山桜は 散ってこそ人は夫と知るだろう

川俣茂七郎(かわまた-もしちろう 1839-1864))幕末の武士。天保10年2月生まれ。出羽松山藩(山形県)藩士。桃井儀八の門にはいり、尊攘思想をいだく。文久3年(1863)脱藩し、筑波山挙兵にくわわる。のち水戸藩尊攘派とわかれ,幕府方の追撃をうけて元治元年9月8日自刃した。26歳。名は渉(わたる)。

川俣茂七郎は天狗党の乱において、特に重要な人物ではありません。ところが川俣の最期について、阿部正己という歴史家が1925年に出版した『川俣茂七郎』という本に、現地での調査を記したため、今日知られるところとなっています。以下にその刑場後について書かれた部分を引用します。
先生(川俣茂七郎)の首は当年(元治甲子)九月九日羽衣村民によって水戸に送られ、水戸佐幕党にてその首を此の地に梟すこと3日にして焼捨したり。此の地に焼捨てされたる勤王志士はすこぶる多数にしてしたがって、この草原中に埋没せる遺骨の多量なること推知するに餘りあり。余は此の畑中の白骨に対して感慨無量、あだかも生ける先生に面接するの思ひあり、依て車夫と共に骨片を拾い集めたるに一厘銭二・三個を得たり。 里人に聞くに「磔または梟首中此の前を通過する旅人は磔には八文、梟首には七文を喜捨するのに慣例して、この銭は皆中夜番人を勤める番太の収入に帰するものなり云々」
天狗党の乱は天狗党員828名のうち、352名が処刑されるという凄惨なものであり、その刑場の悲惨さが伝わってくるかと思います。これは教科書を読んだのでは決して伝わることのない、幕末の動乱の真の姿であると言えるでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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