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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

転びても 弓矢はすてぬ 案山子哉

昌木晴雄の辞世の句。昌木晴雄(まさき-はるお 1821-1864)幕末の医師、尊攘運動家。文政4年生まれ。下総結城(茨城県)の神職杉山友継の次男。鈴木千里の門でまなび、下野(栃木県)佐野で開業。元治元年天狗党の乱にくわわって捕らえられ、同年9月17日水戸で処刑された。44歳。号は宗仙。

昌木晴雄は杉山崇仙といい、杉山家は代々結城・須賀神社(現・健田須賀神社)の神官でした。彼は尊皇攘夷運動にのめり込むと、一族に累が及ぶことを避け、「杉」の国字「椙」を分解し、変名「昌木」と名乗りました。乱が始まると、彼は天狗党本隊を離れ、「横浜征伐」の途に上りましたが、最期は小川(小美玉市)で捕縛され、吉田村境橋刑場(旧水戸街道沿い)で磔刑に処されました。昭和六年(1931)に昌木晴雄の殉難碑が水戸市に建てられ、現在は神應寺にあるそうです。昌木晴雄は日本史上珍しい過激派の神官でした。明治以前の日本は神道と仏教の境界が曖昧でしたが、尊皇運動とその後の明治維新により、日本独自の宗教というものが意識され、その過程でこのような過激な人も見られるようになりました。尊皇思想の始まりは、史学においては水戸学であり、文学においては国学であって、これらは元々は過激な革命思想ではありませんでしたが、その後の諸外国との関係に伴う国難によって、尊皇思想は過激化していくこtになりました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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