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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

大君の御はたのもとにして死してこそ、人と生まれし甲斐ぞありけり

大田実の辞世の句。大田実は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。大田は海軍における陸戦の権威者で、第一次上海事変に参戦したほか、二・二六事 件では佐藤正四郎麾下の陸戦隊大隊長として東京へ出動している。同部隊の参謀は大田とともに海軍陸戦隊を代表する指揮官となった安田義達であった。太平洋戦争においては、第二連合特別陸戦隊司令官としてミッドウェー島上陸部隊の海軍指揮官となる(陸軍部隊指揮官は一木清直)が、ミッドウェー海戦における敗 北により上陸作戦は中止となった。のちに第八連合特別陸戦隊司令官に転じ、ムンダ、コロンバンガラなどで苦闘した。第二次世界大戦最後の激戦であった沖縄戦では、海軍最先任者として沖縄根拠地隊司令官を務め、米軍上陸時に約1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄半島での戦闘を指揮。最期は米軍の攻撃により司令 部は孤立し、大田は那覇小禄地区豊見城にあった海軍壕内で拳銃で自決した。死後海軍中将に特別昇進する。自決する直前の6月6日に海軍次官宛てに発信した 電報は広く知られている。当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えて いる。

大田は穏やかで包容力に富み、小事に拘泥せず責任感の強い人物であり、いかなる状況に遭遇しても不満を漏らさず、他人を誹謗するような言動はなかったといわれています。戦後は軍人を評価することはまずなくなりましたが、こういった人達に対する歴史的な評価はどうするべきなのでしょうか。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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