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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

Boys, I'm going.

少年たち、私は行くよ。

アル・ジョルソンの最期の言葉。アル・ジョルソン(1886年5月26日 - 1950年10月23日)は、リトアニア(当時はロシア)生まれのアメリカ合衆国の歌手、俳優。20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの1人。エイサ・ヨエルソンとしてリトアニアのセレジウスで東欧系ユダヤ人の家庭に生まれる。父はハザン。一族の本来の苗字はヘッセルソンである。幼い頃に家族と共に渡米し、その後ブロードウェイで人気歌手となった。1927年に、最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』に出演。歌手としての代表作はジョージ・ガーシュウィンの「スワニー」である。なおこの頃のジョルソンは、ミンストレル・ショーを彷彿とさせる黒塗りの顔で黒人を演じ、大げさな演技と黒人的な要素を大幅に取り込んだ歌唱法、口笛、そして聴衆に直接語りかけるスタイルを確立し、有色人種に対する人種差別が法的に認められていた当時のアメリカで人気を得た。 政治的には保守派であり、1924年の選挙に際しては、民主党候補ジョン・ウィリアム・デイヴィスを支持していた他のユダヤ系芸能人と違って、デイヴィスの対立候補のカルヴィン・クーリッジを支持した。から終戦に至るまでヨーロッパ戦線を中心に多くの慰問を行った。1946年にはコロンビア社が彼の伝記映画『ジョルスン物語』を作り、『風と共に去りぬ』以来の大入りを記録。1948年には人気投票でフランク・シナトラやビング・クロスビーやペリー・コモを凌ぎ、「最も人気ある男性歌手」部門で1位となった。1950年に、医師の反対を振り切って朝鮮半島のアメリカ軍へ慰問に行き、心臓を悪くしたことが彼の死因となった。ジョルソンが心臓麻痺によりサンフランシスコで亡くなった日に、ブロードウェイは彼を偲んで10分間電灯を消した。

アル・ジョルソンは偉大な歌手であったにもかかわらず、「ミンストレル・ショー」を彷彿とする黒塗りの顔で黒人を演じたことが、人種差別を助長するものと見なされ、今日ではその功績はほとんど無視されています。ミンストレル・ショーとは、顔を黒く塗った(Blackface)白人によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えたショーのことで、人種差別の産物だとされています。この様な演技手法は、公民権法施行前の、有色人種に対する人種差別が合法であったアメリカにおいてはごく普通に行われていました。ジョルソンの最期の言葉は、上記のものの他に"This is it! I'm going. I'm going."と言ったとも伝えられています。周囲の反対を振り切って朝鮮戦争の慰問へと赴いた功績により、彼の死の数か月後に国防長官ジョージ・マーシャルはジョルソンに勲章を授与しました。ジョルソンの葬儀には二万人もの人々が訪れ、これはアメリカショービジネス史上最も大きな葬式の一つとなりました。

ジョルソンがどのようなショーを行っていたかについては、見てもらった方が早いでしょう。
Mammy
http://www.youtube.com/watch?v=PIaj7FNHnjQ
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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