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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

腹の中が裂けるようだ。もう何も言わん。

岩崎弥太郎の最期の言葉。岩崎弥太郎は日本の実業家。三菱財閥の創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。土 佐国(現在の高知県安芸市)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれた。幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主・山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められる。21歳の時、学問で身を立てるべく江戸へ遊学し安積艮斎の塾に入塾する。後に吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、後藤象二郎らの知 遇を得る。慶応3年(1867年)、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。明治元年(1868年)、長崎の土佐商会が閉鎖されると、開成館大阪出張所(大阪商会)に移る。翌、明治2年(1869年)10月、大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は 海運業に従事する。現在の大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷(土佐稲荷神社付近)に九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商 会は弥太郎が経営する個人企業となる。三菱商会は、明治7年(1874年)の台湾出兵に際して軍事輸送を引き受け、政府の信任を得る。明治10年 (1877年)の西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げた。三菱の最大の保護者であった大隈重信が失脚し、弥太郎は三井家の背後にいる井上 馨・渋沢栄一を敵に回し、共同運輸会社と死闘を繰り広げているさなか、健康の衰えにより明治18(1885年)年2月7日50歳で没した。

岩崎弥太郎は日本で初めてボーナスを出したりと、今の日本の企業経営の基礎を作ったような人ですが、同時に政府と癒着して、今で言うインサイダー取引をやって大儲けしたという黒い一面もあります。渋沢栄一と社運をかけて戦ったことでも有名ですが、この勝負は企業理念という一種思想的な戦いでもありました。何にせよ彼は、現在の日本の社会に多大な影響を与えた人物であると言えます。最期の言葉は病苦ゆえに苦しげですが、特に言い残しておくようなこともなかったのでしょうか。それとも苦しすぎて何も言えなかったのでしょうか。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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