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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

死にともなあら死にともな死にともな ご恩をうけし君を思えば

本多忠勝の辞世の句。本多忠勝は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総国大多喜藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。 忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。元亀元年(1570年)の 姉川の戦いにも参加し、家康本陣に迫る朝倉軍1万に対して無謀とも思える単騎駆けを敢行。そしてこの時必死に忠勝を救おうとする家康軍の行動が反撃となっ て朝倉軍を討ち崩した。元亀3年(1572年)の二俣城の戦いの前哨戦たる一言坂の戦いで殿軍を努め、馬場信春の部隊を相手に奮戦し、家康率いる本隊を逃 がし撤退戦を無事に完了させた。12月の三方ヶ原の戦いにも参戦した。天正3年(1575年)の長篠の戦いにも参加する。天正12年(1584年)の小 牧・長久手の戦いでの活躍などにより、豊臣秀吉からも東国一の勇士と賞賛され、徳川氏が豊臣氏の傘下に入ると天正14年(1586年)11月9日、従五位 下・中務大輔に叙位・任官された。天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると上総国夷隅郡大多喜(千葉県夷隅郡大多喜町)に康政と共に、家臣団 中第2位の10万石(1位は井伊直政の12万石)を与えられる。晩年は、戦乱の収束により本多正純などの若く文治に優れた者(吏僚派)が家康・秀忠の側近 として台頭してきたため、忠勝のような武功派は次第に江戸幕府の中枢から遠ざけられ、不遇であった。慶長14年(1609年)6月、嫡男・本多忠政に家督 を譲って隠居する。慶長15年(1610年)10月18日に桑名で死去した。享年63。

死にたくない死にたくない死にたくない ご恩を受けたあなたを思えば

非常にストレートな辞世の句です。この辞世の句は晩年は不遇であったとされながらも、主君・家康への変わらぬ忠誠心の大きさを物語っていると言えるでしょう。名将としても忠臣としても名を残せたのは、彼の本望だったのではないでしょうか。歌は死にたくないという、自分の本心を正直に詠んでいるところに、好感が持てます。上手い歌ではありませんが、変に悟り済ましているよりも、よほど人間味のある辞世の句なのではないでしょうか。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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