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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

天地も人もうらみずひとすじに 無畏を念じて安らけく逝く

天も地も人も恨まず一筋に 恐れを抱かないことを願って安らかに死ぬ

松井石根の辞世の句。松井石根は中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長、陸軍大将。正三位勲一等功一級。ポツダム宣言受諾 後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(BC級戦犯)を受け、処刑された。愛知県出身。旧尾張藩士松井武国、ひさの 六男として生まれた。成城学校から陸軍士官学校(9期次席)、陸軍大学校(18期首席)を卒業。陸大在学中に日露戦争に従軍した。中国駐在中は孫文の大ア ジア主義に強く共鳴し、辛亥革命を支援。中国国民党の袁世凱打倒に協力。昭和8年(1933年)に大亜細亜協会の設立発起人となり(後に会長に就任)、同 年8月には台湾亜細亜協会を設立した。また日本に留学した蒋介石とも親交があり、蒋が政治的に困難な際に時の日本の首相田中義一との会談を取り持ち事態を 打開させたのも松井である。日中戦争(支那事変)勃発前は予備役であったが、第二次上海事変が勃発すると軍務に復帰、上海派遣軍司令官として上海に派遣さ れた。参謀本部と政府は上海事件の不拡大を望んでいたが、松井は上海近辺に限定されていた権限を逸脱して、当時の首都南京を攻撃・占領した。その際に南京 攻略戦前に当時の中国の首都であった“南京攻略要綱”を兵士に徹底していたつもりであったが、南京戦後に、一部の兵士によって掠奪行為が発生したと事件の 報を聞いたとき、彼は「皇軍の名に拭いようのない汚点をつけた」と嘆いたという。しかし、後の東京裁判における宣誓口述書では「一部の」兵士による軍規違 反の掠奪暴行は認めたものの、組織的な大虐殺に関しては否定している。軍籍を離れた松井は「大亜細亜協会」会頭として、アジア主義運動を展開し、国内各所 での講演活動を行っていた。1945年8月15日、松井は終戦の玉音放送を熱海の自宅で聞いた。10月19日、松井は戦犯指定を受けた。1946年3月5 日、松井は巣鴨プリズンに出頭。収監されてからも毎朝、観音経をあげるのが習慣だった。また、重光葵によると、人の依頼に応じて揮毫する文字は決まって 「殺身為仁」であり、獄中では常に国民服姿だったという。昭和23年(1948年)12月23日に巣鴨プリズン内で処刑(絞首刑)が執行された。

松井石根はいわゆる「南京虐殺」の責任を問われて死刑になった人です。松井は孫文と親交あり、かなり親中派な人物でした。彼は当時の首相である田中義一と蒋介石の会談を実現させ、蒋を援助する代わりに満蒙の特殊権益と開発を大幅に承認させようとしましたが、張作霖爆殺事件により松井の意図は完全に崩れ去りました。その後西安事件により、捕えられた蒋介石は国共合作により抗日へと方針を180度転換し、1937年7月7日の支那事変(盧溝橋事件)勃発により日中戦争が始まりました。松井は南京攻略を前に「南京城攻略要領」(略奪行為・不法行為を厳罰に処すなど厳しい軍紀を含む)を兵士に示し、中国人への軽侮の思想を念を押すようにして戒めました。彼は後の東京裁判における宣誓口述書では、一部の兵士による軍規違反の掠奪暴行は認めたものの、組織的な大虐殺に関しては否定しています。彼は和平交渉を進めようとしていましたが、1938年1月16日に近衛文麿首相が「蒋介石を対手とせず」宣言(近衛声明)するに至ってその努力は無に帰しました。松井は軍中央から中国寄りと見られ、考え方の相違から更迭され帰国し、予備役となりました。松井は巣鴨プリズンに収容される前夜、近親者たちを招いて宴を催し、盃を交わしながら「乃公はどうせ殺されるだろうが、願わくば興亜の礎、人柱として逝きたい。かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々ではなんとしても浮かばれないナァ」と語ったそうです。最期は戦争犯罪人として逮捕、極東国際軍事裁判において起訴され、司令官を務めた中支那方面軍が南京で起こしたとされる不法行為について、その防止や阻止・関係者の処罰を怠ったとして死刑の判決を受け、1948年12月23日に巣鴨プリズン内で処刑(絞首刑)が執行されました。昭和53年(1978年)年、他のA級戦犯と共に靖国神社へ合祀されています。松井は上記の歌の他にも 「いきにえに尽くる命は惜かれど 国に捧げて残りし身なれば」 「世の人にのこさばやと思ふ言の葉は 自他平等誠の心」という歌も残しています。中国共産党では松井を南京事件の責任者、日本軍による非道の象徴的人物と位置づけています。また、国家中枢にあったとされる他のA級戦犯と同格の人物とみなされているようです。「南京事件」については不明な点も多く、立命館大学の北村稔先生の『「南京事件」の探究』 では「一般市民を対象とした虐殺はなかったとの結論に達する」としています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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