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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

うつし世を神さりましし大君の 御あと慕ひて我はゆくなり

この世を神は去りなさった大君の 御後を慕って私は行きます

乃木希典の辞世の句。乃木希典のは、日本の武士(長府藩士)、軍人。陸軍大将従二位・勲一等・功一級・伯爵。第10代学習院院長。乃木は、日露戦争において旅順要塞を攻略したことから、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。しかし、旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなど、その功績及び行為に対する評価は様々である。例えば、司馬遼太郎は、著書『坂の上の雲』『殉死』において、福岡徹は著書『軍神 乃木希典の生涯』において乃木を愚将と評価した。他方で、司馬遼太郎らに対する反論や、乃木は名将であったとする主張など乃木を擁護する意見もある。旅順攻囲戦は日露戦争における最激戦であったから、乃木は日露戦争を代表する将軍と評価され、その武功のみならず、降伏したロシア兵に対する寛大な処置もまた賞賛の対象となり、特に、水師営の会見におけるステッセリの処遇については、世界的に評価された。最期は乃木は、1912年(大正元年)9月13日、明治天皇大葬が行われた日の午後8時ころ、妻とともに自刃して亡くなった。乃木夫妻の葬儀は、1912年(大正元年)9月18日に行われた。葬儀には十数万の民衆が自発的に参列した。その様子は、「権威の命令なくして行われたる国民葬」と表現され、また、外国人も多数参列したことから、「世界葬」とも表現された。

乃木希典は一般的に戦下手だったと思われていますが、最終的に旅順を攻略したことからも分かる通り、天才的な軍略家ではなかったものの、全くの無能だったというわけでもありませんでした。旅順攻囲戦では、満州軍司令部や大本営に度々砲弾を要求したが、十分な補給がおこなわれる事がなかったなど、苦しい条件で機関砲を配備した永久要塞を攻略する極めて困難な戦いでした。彼への評価は戦功だけでなく、殉死というその死に様も日本人に大きな影響を与えました。殉死直後から日本国内の新聞の多くはこれを肯定的に捉え、乃木の行為を好意的に受け止める空気が一般的であり、新渡戸稲造は「日本道徳の積極的表現」、三宅雪嶺は「権威ある死」と論じ、徳冨蘆花や京都帝国大学教授・西田幾多郎は、乃木の自刃に感動を覚えました。他にも夏目漱石や森鴎外が作品に書いています。三島由紀夫もその影響を受けた人でしょう。乃木は軍人でありながら、優れた文化人であり、多くの和歌や漢詩を残しています。彼は上記の歌の他に「神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる」という歌も辞世として残しています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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