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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

Macht mir den rechten Flügel stark!
我に強い右翼を!

アルフレート・フォン・シュリーフェンの最期の言葉。シュリーフェンはドイツの軍人。陸軍元帥。大モルトケの2代あとの、ドイツ帝国参謀総長。戦術家であり、第二次世界大戦に至るまで使われ続けた、対仏侵攻作戦「シュリーフェン・プラン」の考案者。1833年2月にベルリンで、プロイセン軍少将の 息子として生まれる。1854年に軍に入り、1863年に参謀本部に移る。1866年の普墺戦争には大尉、1870年~1871年の普仏戦争に少佐の参謀 将校として参加した。1905年に仮想敵国ロシア帝国とフランスに対する作戦計画「シュリーフェン・プラン」を考案した。この計画は大モルトケやヴァル ダーゼーの基本計画を具体化したものであった。露仏両国との二正面戦争を避けるため、開戦後全力を挙げて短期間でのフランス攻略を目指し、次いで鉄道輸送 を駆使して部隊を東に輸送して残る敵ロシアを攻撃するという計画であった。この計画を実現するため、シュリーフェン以後のドイツ軍は移動可能な重砲の配備 や、輸送部隊を中心とする兵站の充実に力を入れた。1911年に元帥に列せられたが、純粋に名誉的な措置であった。第一次世界大戦勃発の前年、最期は 1913年にベルリンで死去し、軍人墓地に葬られた。墓所には皇帝ヴィルヘルム2世により献花が行われた。

シュリーフェンがフランス攻撃計画でベルギーを通過するドイツ軍右翼を最重視して、常々この言葉を述べていたそうです。シュリーフェン・プラン は、第一次世界大戦冒頭に改変された形で実行されるが、シュリーフェンの計画とは異なりドイツ軍の進撃はマルヌの戦いで頓挫し、以後はシュリーフェンの想定しなかった塹壕戦・総力戦に移行することになりました。シュリーフェンは軍司令官というよりも作戦理論家の性格が強かったようです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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