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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

雪解や 八十年の つくりもの

竹婦人の辞世の句。竹婦人(ちくふじん 生年: 生年不詳 没年: 安永7.7.11 (1778.8.3) )は、江戸中期の河東節の作詞者、俳諧師。江戸吉原の娼家天満屋の主人で、名は竹島正朔、仁左衛門。俳号竹婦人、呉丈。河東節では初代河東から3代にわたってその詞章を書いた。代表作「禿万歳」「江の島」(初代河東)、「一瀬川」「花がたみ」「水調子」「浮かむ瀬」「濡れ扇」(2代目河東)、「いの字扇」「夜の錦」(3代目河東)がある。俳人岩本乾什の弟子で、師の「呉丈」の号を継いでおり、ふたりの呉丈の混同から河東節作詞者竹婦人を乾什とする説が生まれたが、誤り。斎藤月岑『武江年表』(1759)には、「乾什の世に行はれたる故、自ら混じて伝へしものなりといへり」とある。

竹婦人は妓楼の主人であり、河東節の作詞者、俳諧師でもあった人です。河東節とは、浄瑠璃の一種であり、現在は国の重要無形文化財となっています。江戸半太夫(半太夫節の創始者)の門下である江戸太夫河東(1684年~1725年)が、享保二年(1717年)に十寸見 河東(ますみ かとう)を名乗って河東節を創始しました。河東節は特に吉原との関係が深く、二代目(?~1734)、三代目(?~1745)の河東は吉原に暮らし、初代、二代、三代の蘭洲は妓楼の主であったとされています。竹婦人は、初代河東から3代にわたってその詞章を書いており、この文芸の色町との関わりの深さが伺われます。売春の是非については難しい問題ですが、当時の遊廓は正に日本文化の坩堝とも言える存在であり、彼女たちは徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれ、美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女である太夫(宝暦年間以後は花魁)にもなると、呼び出すだけで100両以上もかかることがあったそうで、相手ができるのは大名くらいでした。彼女たちは江戸時代のスーパーウーマンであり、大名相手に唯一首を横に振れる女性でした。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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