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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

踏み出せば狭きも広く変わるなり 二河白道もかくやありなん

土肥原賢二の辞世の句。土肥原賢二は大日本帝国陸軍大将。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作で暗躍。極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯となり死刑判決を受け処刑される。大正元年(1912年)、陸軍大学校卒業と同時に、参謀本部中国課付大尉として北京の板西機関で対中国工 作を開始。板西機関長補佐官、天津特務機関長と出世。昭和6年(1931年)夏、奉天特務機関長に就任。満州事変の際、奉天臨時市長となる。同年11月、 甘粕正彦を使って清朝最期の皇帝溥儀を隠棲先の天津から脱出させるが、このとき諸外国にその事実が露顕した際には、溥儀もろともその乗船を沈没させる予定 だったとも言われる。その後、華北分離工作を推進し、土肥原・秦徳純協定を締結。この結果河北省に冀東防共自治政府を成立させた。土肥原は、謀略をも辞さない強硬な対中政策の推進者として昇進を重ね、「満州のローレンス」と畏怖された。特務機関畑を中心に要職を歴任し、陸軍士官学校長も務めた。第二次世界 大戦終結後、軍事参事官となった直後、A級戦犯としてGHQに逮捕される。極東国際軍事裁判(東京裁判)においては、特に中国が強硬に極刑を主張した。最終的に死刑の判決が下され、巣鴨プリズン内で絞首刑が執行された。

二河白道とは善導大師の「観無量寿経疏」に書かれている、浄土教における極楽往生を願う信心の比喩です。主に掛け軸に絵を描いて説法を行ったので すが、上方に阿弥陀仏と観音菩薩・勢至菩薩のニ菩薩がおり、火の川・水の川を挟んで、向こう岸は西方浄土、こちら岸はこの世の世界を示しています。土肥は 信心深く性格は温厚であったと言われており、 20年余りを中国で勤務したため、中国語が堪能で中国の知り合いも多くいたと言われ、「帝国陸軍きっての中国通」と呼ばれていました。それだけに中国側の憎悪も激しく、国民党の蒋介石からは、「土匪原」と憎しみを込めて呼ばれ、蒋介石が独自に作成し連合軍に送ろうとしていた、日本軍戦犯順位の資料では1番に上げられていたそうです。本人を含む家族は質素な家に住んだとされており、軍規に厳しく「中国民衆から徴発するな、部落を焼くな、女を犯すな」と言ったと片倉衷が述べています。また得意とした謀略については、「謀略はテクニックでは無い」と言ったそうです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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