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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

安心は 病が上の 極書かな

太田白雪の辞世の句。太田白雪(おおた-はくせつ 1661-1735)は、江戸時代前期-中期の俳人。万治4年3月5日生まれ。三河(愛知県)新城の富商で、庄屋。松尾芭蕉の門人。各務支考、高島轍士らと親交があった。郷土史や百人一首の研究につとめた。享保20年6月7日死去。75歳。名は長孝。通称は金左衛門。別号に密雲峰、有髪散人、周白雪。編著に「誹諧曾我」「三河小町」など。

太田白雪は新城出身の俳人で、「新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川に 太田白雪」と詠われた人です。この歌は石田三成の配下であった島清興を称えた歌である、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近(清興)と佐和山の城」を元にしています。白雪の生家は屋号を升屋といい、質物、酒造、味噌、米穀、茶、塩などを手広く扱う商家であり、また庄屋も勤める当地の名家でした。元禄4(1691)年10月、松尾芭蕉の訪問を受け鳳来寺へ案内するなど、地方俳壇の中心として活躍しました。後年は古典・郷土史の研究を行いましたが、親、兄弟、子供に早く死別し、老後は孤独な生活であったそうです。上記の句の「極書」とは、書画骨董等の鑑定書のことで、古筆に関するものが多く、古文書ではこれに準じて真偽の鑑定に使用されました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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