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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

月花の 三句目を 今しる世かな

野々口立圃の辞世の句。野々口立圃(ののぐち・りゅうほ 生年: 文禄4 (1595)~没年: 寛文9 (1669))は、江戸前期の俳人。名は親重。庄右衛門,宗左衛門、市兵衛,次郎左衛門とも伝えられる。京都の人。初号親重,のち立圃,立甫。別号松翁など。雛人形の細工を業として雛屋を称し、紅粉染めに巧みで紅屋の称もあった。家業のかたわら,連歌を猪苗代兼与、和歌を烏丸光広,書を尊朝法親王に習った。俳諧は松永貞徳に学び、寛永8(1631)年2月、近世初の俳諧選集『犬子集』の編集を,同門の松江重頼と共に任されたが,編集上のことで重頼と争い、貞門を離れて独立した。その作風は、「天も花に酔へるか雲の乱足」など優美、温和で、「上京風にて、句作りやはらかに、誹言よはよはとして仕立うつくし」(『貞徳永代記』)と評される。寛永13年,最初の俳諧作法書『はなひ草』を刊行、多くの門人を擁し、寛文5(1665)年には門下を結集し、一大選集『小町踊』を刊行した。画技は中年からのものだが、珍重され多くの俳画が残っている。

野々口立圃はもしかしたら、俳人としてよりも俳画家としての方が有名かもしれません。俳画は、俳句を賛した簡略な絵のことで、一般には俳諧師の手によるものであり、自分の句への賛としたり(自画賛)、他人の句への賛として描かれました。俳画の創始者には諸説ありますが、一般に『立圃筆休息歌仙図』などの野々口立圃がそうだと目されています。立圃はこの他にも、源氏物語の絵入りの梗概書(ダイジェスト)である、「十帖源氏」を著しました。婦女子のために平易に俗訳したこの絵入本には、130図に及ぶ古雅な挿絵を添えてあり、親しみやすいものとなっています。俳諧師としては、連歌ひいては俳諧の系列の違いから、里村北家出身の貞徳とも、同南家出身の重頼とも合わず、やがて立圃流なる一流を立てて閉じ籠り他派との交流を絶ちました。1940年頃から、家業不振のため没落し、東下して滞在10年、以後も京・江戸間をしばしば往復奔走しましたが家運は挽回できませんでした。1951年以後、備後福山藩2代水野勝俊と同3代勝貞に仕え俳事に専念しました。寛文9年(1669)歿、享年75才。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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